2年前の春先から今ごろまで、私は毎日のように泣いていた。朝を迎えることが辛く、仕事も生活もままならずにいた。

気づけば、心から求めるあの人の優しい声が、
知らぬ間の変化により、悲しい声となっていた。

縁を切るべきか互いに悩み、
それでも突き放しきれず、
繋いでた手を離すことができず、
私たちは今日もこの酷い歓楽街にいる。

今日という日を毎朝迎えるにあたり、
たくさんの後悔が頭の中を駆け巡る。

金銭面で苦労するようになったこと、
娘同然の愛犬と離れ離れになってしまったこと、
恋人との関係を保つために「私らしさ」が抑制されるようになったこと、
あげればキリがないほどに。

それでも、私があの日踏み出したことを後悔しない軸がある。それを2年前の私に伝えたい。

あなたの選択は間違っているかもしれない。
決して正しいものだとは、2年後を生きる私も断言できない。けれど、運命を感じるような出来事がたくさん起きる。幼い頃からの出来事も、大人になってからの選択も、すべてここに導かれてたのだと答え合わせができる。

深い悲しみや後悔に苛まれることとなるし、失ったものの代償は大きい。泣いて憤って虚しくなって苦しくなることばかりで、想像も絶する辛さが待ってる。けれどそれ以上に、あなたは満たされることを知って笑えるようになるし、愛を学び、幸せを噛み締めることができるようになる。人としての器が育つ。

あなたは己の運命を知ることで救われるようになる。今あるすべてを愛せるようになる、優しくなれる、途中で見失いかけた私らしさもあるべき姿に変化して戻っていく、不完全に変わりはなくとも人として欠陥してた部分が補われるようになる、良くも悪くも少しだけ強くなる。

恋人のこと、信じてその手を離さなくていい。あなたは自分を馬鹿だと言いながらも、聡いでしょうから、疑いながら誰と生きるべきか迷っているはずだけれど、最終的に2年前の私が下した判断は、大切なもののすべてを守れる唯一の選択だったと今の私は思う。

一時的に大切な人たちを裏切ることになってしまったけれど、あの日踏み出してくれてありがとう。悲しみと共に在り続ける日々ではあるけれど、もしこれが間違っていたとしても、私は2年前のあなたを今日も信じてるよ。


朧な夢であっても、私はいつかの未来で
恋人とふたり、この歓楽街から抜けだして
平穏な日々の中、命が尽きることを願っている。

あなたを信じたいから、
あなたが信じてくれるから、
私も信じるよ、信じてるよ。